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2013.01.27
これも就職活動である
最近、日記を全く書かなかった。前回から10日ぶりに日記を書く。ゆえに、緊張して若干手が震える。
これは前回、前々回からの精神の変化を表現したグラフである。『服従の心理』を読んで厭世的になり、その後恐ろしいほどにハイになっている。あの後、再びちょっと落ち込んだのだが、すぐに穏やかな感情となり、今にいたる。今後もこの状態を維持できるように努めたい。
もし前の日記のテンションのまま突っ走った日々を送ったら、数日後に頭がおかしくなっていたであろう。人間、感情に起伏があるよりも、安定感がある方がいいと思います。
――
日記を書かなかった10日間、私はずっと市の図書館に通っていた。
理由は、B嬢が国家試験が1月27日にあるということで、その勉強のために市の図書館に通っていたのだが、私もそれに付き合っていたからである。彼女は勉強に集中したいのだが、大学に行くと友達と話してしまうので、わざわざ市の図書館に行って缶詰状態になっていた。でも一人だと心細いというので、私も図書館に通っていた、とこういうわけである。
「なんでてめえが通う必要があるんだ。どうせ隣の席座って時々イチャイチャしてたりするんだろ。気色悪い」
と了見の狭い考え方をする人はいないとは思うが――
別にB嬢と隣に座ってない。むしろ、離れて座っていた。ただ、昼飯と夕食だけは、市の図書館の中にある食堂みたいなところで食べていた。それだけである。本当にそれだけである。あえて強調する。
なんというか、B嬢からすれば、私のように規則正しい日々(変わり映えのしない生活)を送っている人とリズムを合わせることで、不規則な生活を送らずにすむようであった。
ちなみに、図書館では自分の研究に関する学術書を読む傍ら、彼女の勉強のわからない問題を協力して解いたりした。彼女のわからない問題は私の専門領域だったわけじゃないのだが、一般教養なのでちょっと時間をかければ理解ができるものだったからだ。彼女が分からなかった部分を、私が解読し、昼食や夕食時に、池上彰をはるかに凌駕するわかりやすさで説明したのである(アホ)。
だから、10日間は自分の研究の方は予定よりすすまなかったし、いうまでもなく、シュウカツはしていない。
「シュウカツもやらないで女の手伝いか。こいつ完全にシュウカツに失敗したな」
「もうエントリーシートの提出が始まっているのに、本当にバカだな(笑)」
などと思う人もいるだろう。もはや慣習となったシュウカツの常識から考えれば、至極当然な発想であると思われる。かくいう私も、こういった嘲笑に対し、不安が全くないわけではない。むしろ、上に記した嘲笑は私の内なる不安の表れかもしれない。
……しかし、長い目で見れば、ここで彼女の手伝いをすることは、後で非常に大きな意味を持つと信じている。
短期的な考えで、目先のシュウカツに気力を奪われることは避けなければならない。もし私がB嬢をないがしろにしてシュウカツにアクセクする日々を送ったとしたら、シュウカツ地獄に一気に引き込まれる可能性がある。結果、上に記したグラフはもっとグラグラと揺れていたかもしれない(下降しながら)。
それに、B嬢からの信頼を失う可能性もある。人は、困難にぶつかっている時ほど他者の協力を欲するものだろう(と思う)。実際、彼女の勉強を手伝ったのも、彼女の方から依頼されたからである。決して私の方から持ちかけたわけではない。
もちろん、このお願いに対して
「自分でやらないと意味がない」
とか
「私は就職活動で忙しい」
という返答をすることがそれほど的外れだとは思わないが、彼女が困っている時に自分のことだけを考えるのは、ケツの穴が小さい男といわれてもしかたないと思いまっせ。
それに、先ほども言ったように、B嬢からの依頼を断ってまでシュウカツに体力を消費することは、長期的に見た場合かえって悪い結果になる可能性がある。理由は上手く説明できないけど、悪い結果になる大きな要因は、
彼女と一緒にいることで得られる活力を失う可能性があるから
という感じだろうか(笑)?
B嬢から供給される活力というのは、一緒にいる時間が長くなればなるほど当たり前になるだろう。当たり前になって見えなくなったアリガタミは、失った後で気づくことが多い。しかし、失った後で気づくのではやはり遅すぎる。傍らにあるアリガタミを常に意識できるかどうかが、私のようなダメ男には必要以上に必要なのである。
――もしB嬢という活力源を持ってしても望んだ企業に入れなかったとしたら、私はそこが自分の限界地点だったと思うことができる。まあ、そう思えるところが私のいいところだと思います(笑)……なんというか、常に背伸びばかりしていては、歩きづらくてしょうがないですからね。あ、でも、決して妥協をする、という意味ではござらぬ。全力でぶつかることは大前提で候。
まあ、B嬢が自分の勉強をシュウカツで忙しいはずの私に頼むということは、私が泰然自若と構えられていることを如実に表しているだろうと思いますよ。シュウカツで右往左往している人間に、試験勉強を協力してもらおうとする人なんてあんまりいないでしょうからね。あはは。
閑話休題。
B嬢と私は約10日間、朝9時に図書館にやってきて夜20時まで勉強をするという日々を送った。彼女は朝に強くない体質なので(女性って結構そういう人いるんですかね)、こういう日々を送ることはなかなか慣れなかっただろうから、大変だったろうと思う。
また、1月上旬の彼女は、
「別に落ちても良い試験だから」
という言葉をいつも吐いていたが、ここ数日は
「落ちる可能性の方が高いけど、やっぱり受かりたい」
とか
「落ちたらどうしよう……」
という希望と不安が入り混じった言葉に代わっていた。彼女の中で、蓄積されたものがそのような言葉を吐かせているのだと思うと、その努力に拍手を送りたくなる。
そして、今日は彼女の試験日である。今、彼女はその試験の真っただ中である。どんな結果になっても良いが、腹痛などで本来の成果を発揮できないように祈るばかりである。
あ、余談だが、試験会場から私のアパートが近いということで、B嬢は昨日、うちのアパートに泊まった。これで彼女が私のオンボロアパートに泊まったのは3回目となる。
……まあ、別に何をしたわけじゃありませんよ?ただ、近いから泊めただけです(笑)イチャイチャなんかしてません。断言します。
――はて、なんか読みかえしてみると、ちっとも面白くない日記ですな(笑)やっぱりブランクは大きいぜ(まあ、いつも面白くないけど)。
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2013.01.17
恐ろしい本
あんたは泣くにしても笑うにしても、あんまり簡単すぎるよ
『赤毛のアン』
『赤毛のアン』
私、23歳にしてアンの境地に到達したみたいだわ。
前の日記で、自我が崩壊するような気分になっていた。
その理由は、この本のせいである。
服従の心理 (河出文庫) (2012/01/07) スタンレー ミルグラム 商品詳細を見る |
この本を熟読していたせいで、人間の服従について本気で考えてみた。その結果、自分自身の振る舞いに対し、異常なまでに敏感になってしまった。とどのつまり、自分の行動全てに服従要素を見出してしまっていたわけである。怖いですよ、はい。
私、出家することも考えましたよ?今日も涙が出続けていたので、あんまり人目につかないようにしました(笑)合同説明会に行く予定だったのに、大学の図書館にこもってましたから(笑)もう人前で笑えないような気がしましたし。
今朝の日記を読みかえすと、触ったら悲鳴を上げそうなほど敏感な男になっている。まあ、詩人とか小説家ならば望ましい境地だったかもしれないが、一歩間違えると、人間失格になってしまう。
それにしても、今朝と今とで全く生きている心地が違うというのも不思議なものである。う~ん。
今朝の私も、今の私も、全部私なの。だから全く気にしなくて良いの。全部受け入れればいいの
もしも自分が調子に乗っていたり、人の上に立つような人間になった時には、再読しなければいけないの。おごりや成功体験は、人を服従させる作用をが働かせるのよ(美輪明宏風)。
……でもまあ、真面目な話、いじめ問題や服従事件を考察する上でも、この本がもつ意味ははかりしれない。いま読みかえしても全く色あせない、心理学の古典的名著である。
う~む、あらためて、すごい本には強烈な影響力があることを知った次第であった。今年一番の衝撃である(あと11か月もある、楽しみだなあ)。
いや、古典って、本当にすごいですね~(えはらえはら、いや、えへらえへら)
余談だが、泣いている時、脳みそにビンビンと電気が走るような心地がした。そして、たった一日で快活となったいま、いいことしか考えられない(決して「やばい人」ではない……と思いたい)。
まだまだ仮説にもなっていないが、どうやら高ぶる感情を一気に発散させるというのは、その後の生活を快活にするために効果的なのかもしれぬ。人間のバイオリズムの図を、短期間の感情にも適用するということができるのではないだろうか?逆にマクロに捉えるならば、しばしば言われている
「つらいことが続くと、ある瞬間から良いことが続く」
ということもまた、同じように理論化できるかもしれない。時折ドギツイ作品に触れることや、悲しいつらい経験をすることは、結果としてのちに大きな活力を得られるのかもしれない。なんにしても、中途半端が一番いけませんな。悲しい時はたくさん泣いてしまえばよろしいのよ(単純)。
まてよ、ということははしゃぎ過ぎるのものちのち危険ということか?う~む。
……人生楽しくなってきたぜよ。あはは。
2013.01.15
邪悪な感情
土曜日のこと。
私はアパートで就職活動を続けた。まあ、やっていることは読書なんだけど。しかも、別にシュウカツに関する本ではない。
「就職活動もシュウカツもおんなじ意味じゃねーか。なんか言葉を操っただけで知識人ぶってんじゃねーぞ」
と思う人がいるかもしれない。別にえらそうに使い分けているわけではないのだが、たしかに私自身もこの2つを時折ゴッチャンにしてしまいそうので、ここでしっかりとわけて置きたい。
就職活動とシュウカツの違い
この二つ、どこがどう違うというのか?
私の中では
就職活動……あらゆる選択肢に触れ、そこから自分のとるべき行動を選択する。その行動には「責任」が存在する。
シュウカツ……あらゆる選択肢に触れず、すでに指定された範囲の選択肢から誰かにとるべき行動を選ぶ(もしくは選んでもらう)。その行動に「責任」は存在しない。
ということである。え、抽象的すぎるって?じゃあ、表にしてみよう。
え、余計に分かりずらいって?……まあ、少しずつ分かるだろう。この日記が5月まで続いていれば、もしくは私の精神力が5月まで続けば、という話だが。
多くの学生がシュウカツをしている。シュウカツとは、自分の選択肢を狭める行為である。そして、責任を誰かに押し付けることで、不安を減らす行為である。
そして、皆がシュウカツに「服従」している。
そして、皆がシュウカツに「同調」している。
シュウカツ生はそのことに気が付いていない。……ただし、シュウカツ生だけではない。多くの社会人も、大学職員も、親も、そして、我が彼女であるB嬢も。
これは楽なものではない。政治家や一部の企業に関しては気づいているのだろうが、彼らはシュウカツ構造を変える必要性はないようである。雇用を増やすことも大切だが、根幹であるシュウカツ構造に着目しない限り、シュウカツ生の苦悶は続くであろう。というか、雇用を増やすことはシュウカツから解放される、ということではないのだろうけど。
私は、シュウカツには服従も同調もしない。就職活動をする。
……なんか分かりずらくなってしまうぜよ。まあ、気持ちだけは記録しておきたいので、いつぞや読んだ司馬遼太郎『峠』の中での一文を引用しよう。私の心境を端的に表現してくれている。
みなが一つの思想で傾斜している。酔っぱらっている。一緒に酔っぱらえばこれほど楽なことはないが、自分だけが酔わず、醒め続けているとなれば、これは命がけのことだ。事実、醒めているがために命をうしなうかもしれない。
もっとも、英雄というものはそういう流行や時勢のなかで、その熱気を利用して大仕事をする者をいうのだ。
継之助は平素考えている。しかし、その種の英雄になるのは彼自身まっぴらだった。
シュウカツって、幕末の雰囲気に共通する部分があると思いますよ。まあ、同じとは思いませんがね。
私だって、シュウカツ構造を根本から変えてやろうなどということは考えてませんでさあ。シュウカツサイトも使わせていただきますし、合同説明会だって行かせていただきます。だって、シュウカツサイトも私の協力すべき友達なんですよ?(笑)
余談だが、シュウカツに対してデモを起こした人たちが過去にいたそうだ。……そういう人たちは、シュウカツというのも甘く見過ぎである。100人程度でぶっ潰せるほど、シュウカツは弱い構造じゃない。
でもまあ、みていて下され。河井継之助は武士として壮絶に死んでいきましたが、私は武士としてヘラヘラと生きてみせましょうぞ!!(武士総スカン)
さて、普通の日記。土曜日のこと。
私は読書を終え、部屋の片隅のコーヒーメーカーが入った段ボール箱に目をやる。
「あ、そういえば、せっかくもらったのに使っていなかったなあ」
このコーヒーメーカーは、私の「彼女」であるB嬢から、クリスマスプレゼントとしてもらったものである。こんな素敵なものをくれるB嬢の優しさに、私は涙滂沱としたのであった。
だが、こういうものって、使うのにちょっと覚悟がいるんですよね~(笑)なんというか、
ちゃんとコーヒー豆の勉強からしなくては
とか先に考えちゃうんです。なので、なかなかそっちにエネルギーを費やせなかったというか――(言い訳エトセトラ)
だが、せめてコーヒーメーカーを箱から出すくらいはしても良かろう、と思うにいたる。
箱から出して、発泡スチロールをキュッキュキュッキュと外し(あの音を聞くと全身がふるえる)、商品であるコーヒーメーカーが姿を見せた。
「おお、これは立派なものだ!」
なかから出てくる黒光りしたコーヒーメーカー。かわいいですね~、素敵ですね~。
私はコーヒーメーカーを一通りなでまわした後、説明書で細かい部品を組み立てる。
「えっと、これをこうして……うん?」
どういうわけか、うまく組み立てられない。昔から図画工作は苦手なのだが、説明書のページ数だって10ページくらいしかないようなものであり、決して複雑なものではない。
だが、どうしても思うようにいかないのである。コーヒーメーカーだと説明しにくいので、あえて炊飯器で例えると
「炊飯器に釜をセットしたのに、釜を入れるとふたがしまらなくなっちゃうわ」
と言った感じ。お分かりいただけるだろうか?
何度説明書を読んだのにどうしてもうまくいかない。はてな。
窮してしまったので、私は説明書の後ろにある
お客様相談センター
に電話した。こういうのには今まで電話をしたことがないのでちょっと緊張したのだが、こういう活動こそ、本来あるべき
就職活動
であると私は思う。怪しげな本を読んでなんとなく納得した気分になったり、誰かに進められてインターンシップに行くよりよっぽど実践的且つ自発的であると思う。シュウカツの標識がないと就職活動と思えないような学生など、社会人は必要としていないんだよ!!(調子に乗り始める)。
――
「はい、こちら○○社カスタマーセンターのチョメチョメ子です」
電話に応じてくれたのは、ベテラン女子アナのように、大人っぽく、そして聞きとりやすく、さらに自信にあふれた感じの声の女性であった。
「もしもし、あの、コーヒーメーカーがカクカクシカジカの状態になりまして、ちょっとセットの仕方を教えていただきたいのですが」
「あ、さようでございますか。では、私の方でも同じ商品を持ってまいりますので、少々お待ち下さい」
「はい」
2~3分後
「ええと、ここをこうしてコウコウコウしたら、うまくセットできなくなるんですね?」
「はい、そうです」
「そうですか……、こちらの方だと上手く行きますので、やはり商品の不具合のようですね」
「あ、そうなんですか」
「……大変申し訳ないのですが、こちらではこれ以上の対応は出来かねますので、お客様がお買い上げになったお店に行っていただいて、そちらの方で対応していただけますか?」
と言う電話の声。まさかたらい回しにされるとは思ってもみなかったので、つい
「え?」
と素っ頓狂な声を出してしまった。
「本当に申し訳ございません。ですけれども、こちら側ではどうしても対応できないんですよ」
「あ、そうなんですか――」
私の中で、何か邪悪な感情が溢れそうになっていた。おそらく、
(なぜ商品に不具合があるのに、私がお店に持っていかなくてはらないのか?)
という気持ちになりそうになっていたわけである。
「商品に不備がある、けれどもそちらでは対応できない。だから商品を私がお店に持っていかなければならない、ということですか?」
「大変言いにくいんですけれども、そういうことになります」
邪悪な感情がさらに我が心臓の位置する部分をキューとさせてくる。まあ、多くの人が感じたことがあるだろうが、いわゆる
怒り
というものである。せっかくB嬢からもらったのに、不具合があった、なんて言いづらいし、なんか嫌である。
「これ、贈り物でもらったものでして、なんといいますか、不具合があったということを言うのが送ってくれた方に申し訳ないんですよ」
「あの、大変申し訳ございません。お客様の心苦しい気持ちはよくわかります。ですが、こちらではこれ以上の対応はする事が出来ないんです。本当に申し訳ございません」
邪悪な感情は、今にも口から溢れそうになってきた。
しかし、邪悪な感情を漏らしたところで私には何ひとつ良いことなどない。私という人間は、怒りという邪悪な感情を外に漏らしてしまうと、その後で決まって後悔する性質を持っている。これは法則といってもいいくらいのものである。
(怒ることは得策ではない)
私はこの事実を認め、現状を冷静に分析することにした。
その間、特に何も話すことはしないのだが、電話をしているのに話さなくなる、というのは大変気持ち悪いものであったかもしれない。応対していたチョメチョメ子さんはずっと何かを話していたのだが、おおよそ実りある話ではなかったので聞き流していた。
まあ、どなり声を上げるよりも良いだろう。
1分くらいの沈黙(思考をぐるぐる)
「……わかりました。これ以上、ここで何かを言っても意味がない、ということですね」
「大変申し訳ございません。お客様の気持ちも良くわかるのですが、こちらの方ではこれ以上の対応は……」
「わかりました。では、送ってくれた方がコーヒーメーカーを購入してくれたお店に電話してみます」
「大変申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ、夜分に長々と失礼しました」
この一言が言えるかどうかが、武士としての重要な素質であると思うのである(多分)。電話を切る際、
「本当に、お役に立てずに申し訳ございませんでした」
といわれたのだが、最後の「申し訳ございませんでした」が一番心がこもっていたように思った。あくまで、私が思っただけだけど。
カスタマーセンターの人が何も対応しないからと言ってカスタマーセンターの人にキレるのは、コンビニに煙草が置いていないからと言ってコンビニ店員にキレる客とおんなじようなものだ。コンビニ店員に罪はないし、コンビニ店員にはどうすることもできないのである。それなのに
「はあ!?なんで煙草置いてねーンだよ」
とキレられて困惑したことが何度あることか……。人の振り見てナントカカントカである。
それに、怒ったら、B嬢との思い出の品に怒りのレッテルシールを貼らなくてはならなくなる。そんなことしたくありませんから。
ともかく邪悪な感情を鎮める、という練習になった。こういう練習が就職活動の面接などで役に立つだろうし、社会人になってからも役に立つであろう。練習台になってくれたカスタマーセンターの人には感謝したい。
――
その後、B嬢がコーヒーメーカーを購入したお店に電話をした(あ、保証書に電話番号が書いていたんです)。
すると、在庫がないということで、別の商品(2ランク上の商品だそうな)と交換するか、もしくは時間がかかるが遠方から同じ品を取り寄せる、という二つの選択肢を提示される。
私には決めかねるので、とりあえず翌日に来てもらい、今持っている商品が本当に不良品なのかを確認してもらって、それから交換するかどうかを判断したい、という旨を伝えた。もちろん、先ほどのカスタマーセンター同様
「夜分に失礼しました。ご迷惑おかけします」
という一言を忘れない。まだまだぎこちない言い方である。しかしこういうテクニックを身につけられるかが、武士として――(省略)。
――
その後、B嬢に電話をする。交換してもいいかどうかは私の判断ではなく、B嬢の判断で決めてほしかったからである。でないと、
B嬢が選んだコーヒーメーカー
から
私が選んだコーヒーメーカー
になってしまう。それだと一気に価値が落ちてしまう……。
「もしもし、どうしたの?」
「実は、カクカクシカジカで、もしコーヒーメーカーが不具合があったら、別の商品に交換することになるんだけど、どっちがいいですか?別の商品にするか、同じ商品にするか」
「え、別の商品でもいいよ?そっちの方が高性能なんだし、同じ商品だと届くのに時間がかかっちゃうでしょ?というか、別にどですかでん次郎さんが決めてよ(笑)」
「いや、それだと貴女が選んだ商品から私が選んだ商品になっちゃうでしょ。それだと意味がないんです」
「まったく、理屈っぽい人ですね」
「じゃあ、明日点検してもらって、本当に不良品だったら貴女が選んだ別の商品に交換しますね」
「はいはい」
これでいい。
「そんなことより、なんで今頃使ってんの?あげたのって、クリスマスでしょ?もう2週間以上たってんじゃない」
「(あ、やべ)え、あ、いや、あ、すみません、ちょっとシュウカツで忙しかったもので(笑)」
「まあ、確かに忙しい時期ですからね。シュウカツ頑張ってくださいよ」
「はい(笑)貴女も国家試験の勉強、頑張ってくださいね。ではでは」
……シュウカツは実に都合の良い言い訳である。しつこいが、シュウカツは服従されるものではなく、協力するものである。シュウカツさんよ、仲良くしましょ~(えへらえへら)。
翌日。
代替品を持ってきた家電量販店の人がやってくる。ベテランさんと若手さんの2人であった。
若手「では、問題の商品を見せていただけますか?」
「はい、こちらなんですけど……」
若手「どれどれ――う~ん、確かに上手くいきませんねえ」
若手と思われる方が何度も試したものの、やはりうまくいかない。
(どうやら、本当に不良品だったようだ)
と思ったその時、ベテランと思われる方の人が
「ちょっと貸してみろ――ここをこうすると。あ、上手く行きましたね」
見事に上手く行った。炊飯器で例えると、ふたがパチッとしまったのである。
「え!?あ、本当だ」
「ここをこうすると、上手くいかないんですけど、ここをこうやると上手く行く商品のようですね。説明書を見ますと、ちょっと分かりにくいんですけど、ほら、こんな感じで」
どうやら、商品が不良なのではなく、私が説明書をちゃんと読んでいなかったからであった。申し訳ないことこの上なし。
言い訳を言わせてもらえれば、カスタマーセンターの方や若手の職員さんでも気付けなかったわけであり、勘違いするのも無理からぬ話であると思います。そもそも説明書をみるとですね――(ベラベラベラベラ)。
ともかく、B嬢さんがクリスマスにくれた商品をそのまま使うことになった。よかったよかった(笑)
「わざわざ来てもらい本当に申し訳ございませんでした」
終始、低頭する私。それに対してベテランの方が
「いえいえ、何かまたわからないことがありましたら、遠慮なく電話してくださいね」
と笑顔で言う。
この笑顔である。この笑顔を私もできるようになりたいのである。こういうことは、シュウカツ本には書いていないからねえ(本に書いているのはスーツを着ている若者ばかりである)。
ということで、B嬢がくれたコーヒーメーカーを使えることになった。B嬢からクリスマスにもらったというだけではなく、今回の出来事を含め、今後も忘れられぬコーヒーメーカーとなった。
今回得た教訓として
邪悪な感情を鎮めるには、その感情あふれさせるよりも思考で処理すること。そして礼儀を重んじること。
である。まあ、私一個人の教訓ではあるが。ただ、もしも邪悪な感情をあふれさせていたら、私はとんでもない赤っ恥をかいていただろう。想像しただけで顔が真っ赤になるである。
私はアパートで就職活動を続けた。まあ、やっていることは読書なんだけど。しかも、別にシュウカツに関する本ではない。
「就職活動もシュウカツもおんなじ意味じゃねーか。なんか言葉を操っただけで知識人ぶってんじゃねーぞ」
と思う人がいるかもしれない。別にえらそうに使い分けているわけではないのだが、たしかに私自身もこの2つを時折ゴッチャンにしてしまいそうので、ここでしっかりとわけて置きたい。
就職活動とシュウカツの違い
この二つ、どこがどう違うというのか?
私の中では
就職活動……あらゆる選択肢に触れ、そこから自分のとるべき行動を選択する。その行動には「責任」が存在する。
シュウカツ……あらゆる選択肢に触れず、すでに指定された範囲の選択肢から誰かにとるべき行動を選ぶ(もしくは選んでもらう)。その行動に「責任」は存在しない。
ということである。え、抽象的すぎるって?じゃあ、表にしてみよう。
表 私の就職活動とシュウカツの捉え方
就職活動 | シュウカツ | |
行動の選択肢 | 無限通り | 指定された範囲 |
選択肢の量 | 時間の経過と共に少しずつ減って行く | 時間の経過と共に急速に減って行く |
実際の行動 | 無限通りの選択肢から自分で選ぶ | 誰かが指定した範囲の選択肢から選ぶ(もしくは選んでもらう) |
責任 | 選択した行動には「自己責任」が伴い、誰かのせいにすることはできない。 | 選択した行動には「自己責任」がともなうのだが、すでに選択肢は限定されていたため、それほど大きな責任を感じない。 |
結果 | すべて自分にかえってくる | すべて自分にかえってくる |
え、余計に分かりずらいって?……まあ、少しずつ分かるだろう。この日記が5月まで続いていれば、もしくは私の精神力が5月まで続けば、という話だが。
多くの学生がシュウカツをしている。シュウカツとは、自分の選択肢を狭める行為である。そして、責任を誰かに押し付けることで、不安を減らす行為である。
そして、皆がシュウカツに「服従」している。
そして、皆がシュウカツに「同調」している。
シュウカツ生はそのことに気が付いていない。……ただし、シュウカツ生だけではない。多くの社会人も、大学職員も、親も、そして、我が彼女であるB嬢も。
これは楽なものではない。政治家や一部の企業に関しては気づいているのだろうが、彼らはシュウカツ構造を変える必要性はないようである。雇用を増やすことも大切だが、根幹であるシュウカツ構造に着目しない限り、シュウカツ生の苦悶は続くであろう。というか、雇用を増やすことはシュウカツから解放される、ということではないのだろうけど。
私は、シュウカツには服従も同調もしない。就職活動をする。
……なんか分かりずらくなってしまうぜよ。まあ、気持ちだけは記録しておきたいので、いつぞや読んだ司馬遼太郎『峠』の中での一文を引用しよう。私の心境を端的に表現してくれている。
みなが一つの思想で傾斜している。酔っぱらっている。一緒に酔っぱらえばこれほど楽なことはないが、自分だけが酔わず、醒め続けているとなれば、これは命がけのことだ。事実、醒めているがために命をうしなうかもしれない。
もっとも、英雄というものはそういう流行や時勢のなかで、その熱気を利用して大仕事をする者をいうのだ。
継之助は平素考えている。しかし、その種の英雄になるのは彼自身まっぴらだった。
シュウカツって、幕末の雰囲気に共通する部分があると思いますよ。まあ、同じとは思いませんがね。
私だって、シュウカツ構造を根本から変えてやろうなどということは考えてませんでさあ。シュウカツサイトも使わせていただきますし、合同説明会だって行かせていただきます。だって、シュウカツサイトも私の協力すべき友達なんですよ?(笑)
余談だが、シュウカツに対してデモを起こした人たちが過去にいたそうだ。……そういう人たちは、シュウカツというのも甘く見過ぎである。100人程度でぶっ潰せるほど、シュウカツは弱い構造じゃない。
でもまあ、みていて下され。河井継之助は武士として壮絶に死んでいきましたが、私は武士としてヘラヘラと生きてみせましょうぞ!!(武士総スカン)
さて、普通の日記。土曜日のこと。
私は読書を終え、部屋の片隅のコーヒーメーカーが入った段ボール箱に目をやる。
「あ、そういえば、せっかくもらったのに使っていなかったなあ」
このコーヒーメーカーは、私の「彼女」であるB嬢から、クリスマスプレゼントとしてもらったものである。こんな素敵なものをくれるB嬢の優しさに、私は涙滂沱としたのであった。
だが、こういうものって、使うのにちょっと覚悟がいるんですよね~(笑)なんというか、
ちゃんとコーヒー豆の勉強からしなくては
とか先に考えちゃうんです。なので、なかなかそっちにエネルギーを費やせなかったというか――(言い訳エトセトラ)
だが、せめてコーヒーメーカーを箱から出すくらいはしても良かろう、と思うにいたる。
箱から出して、発泡スチロールをキュッキュキュッキュと外し(あの音を聞くと全身がふるえる)、商品であるコーヒーメーカーが姿を見せた。
「おお、これは立派なものだ!」
なかから出てくる黒光りしたコーヒーメーカー。かわいいですね~、素敵ですね~。
私はコーヒーメーカーを一通りなでまわした後、説明書で細かい部品を組み立てる。
「えっと、これをこうして……うん?」
どういうわけか、うまく組み立てられない。昔から図画工作は苦手なのだが、説明書のページ数だって10ページくらいしかないようなものであり、決して複雑なものではない。
だが、どうしても思うようにいかないのである。コーヒーメーカーだと説明しにくいので、あえて炊飯器で例えると
「炊飯器に釜をセットしたのに、釜を入れるとふたがしまらなくなっちゃうわ」
と言った感じ。お分かりいただけるだろうか?
何度説明書を読んだのにどうしてもうまくいかない。はてな。
窮してしまったので、私は説明書の後ろにある
お客様相談センター
に電話した。こういうのには今まで電話をしたことがないのでちょっと緊張したのだが、こういう活動こそ、本来あるべき
就職活動
であると私は思う。怪しげな本を読んでなんとなく納得した気分になったり、誰かに進められてインターンシップに行くよりよっぽど実践的且つ自発的であると思う。シュウカツの標識がないと就職活動と思えないような学生など、社会人は必要としていないんだよ!!(調子に乗り始める)。
――
「はい、こちら○○社カスタマーセンターのチョメチョメ子です」
電話に応じてくれたのは、ベテラン女子アナのように、大人っぽく、そして聞きとりやすく、さらに自信にあふれた感じの声の女性であった。
「もしもし、あの、コーヒーメーカーがカクカクシカジカの状態になりまして、ちょっとセットの仕方を教えていただきたいのですが」
「あ、さようでございますか。では、私の方でも同じ商品を持ってまいりますので、少々お待ち下さい」
「はい」
2~3分後
「ええと、ここをこうしてコウコウコウしたら、うまくセットできなくなるんですね?」
「はい、そうです」
「そうですか……、こちらの方だと上手く行きますので、やはり商品の不具合のようですね」
「あ、そうなんですか」
「……大変申し訳ないのですが、こちらではこれ以上の対応は出来かねますので、お客様がお買い上げになったお店に行っていただいて、そちらの方で対応していただけますか?」
と言う電話の声。まさかたらい回しにされるとは思ってもみなかったので、つい
「え?」
と素っ頓狂な声を出してしまった。
「本当に申し訳ございません。ですけれども、こちら側ではどうしても対応できないんですよ」
「あ、そうなんですか――」
私の中で、何か邪悪な感情が溢れそうになっていた。おそらく、
(なぜ商品に不具合があるのに、私がお店に持っていかなくてはらないのか?)
という気持ちになりそうになっていたわけである。
「商品に不備がある、けれどもそちらでは対応できない。だから商品を私がお店に持っていかなければならない、ということですか?」
「大変言いにくいんですけれども、そういうことになります」
邪悪な感情がさらに我が心臓の位置する部分をキューとさせてくる。まあ、多くの人が感じたことがあるだろうが、いわゆる
怒り
というものである。せっかくB嬢からもらったのに、不具合があった、なんて言いづらいし、なんか嫌である。
「これ、贈り物でもらったものでして、なんといいますか、不具合があったということを言うのが送ってくれた方に申し訳ないんですよ」
「あの、大変申し訳ございません。お客様の心苦しい気持ちはよくわかります。ですが、こちらではこれ以上の対応はする事が出来ないんです。本当に申し訳ございません」
邪悪な感情は、今にも口から溢れそうになってきた。
しかし、邪悪な感情を漏らしたところで私には何ひとつ良いことなどない。私という人間は、怒りという邪悪な感情を外に漏らしてしまうと、その後で決まって後悔する性質を持っている。これは法則といってもいいくらいのものである。
(怒ることは得策ではない)
私はこの事実を認め、現状を冷静に分析することにした。
その間、特に何も話すことはしないのだが、電話をしているのに話さなくなる、というのは大変気持ち悪いものであったかもしれない。応対していたチョメチョメ子さんはずっと何かを話していたのだが、おおよそ実りある話ではなかったので聞き流していた。
まあ、どなり声を上げるよりも良いだろう。
1分くらいの沈黙(思考をぐるぐる)
「……わかりました。これ以上、ここで何かを言っても意味がない、ということですね」
「大変申し訳ございません。お客様の気持ちも良くわかるのですが、こちらの方ではこれ以上の対応は……」
「わかりました。では、送ってくれた方がコーヒーメーカーを購入してくれたお店に電話してみます」
「大変申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ、夜分に長々と失礼しました」
この一言が言えるかどうかが、武士としての重要な素質であると思うのである(多分)。電話を切る際、
「本当に、お役に立てずに申し訳ございませんでした」
といわれたのだが、最後の「申し訳ございませんでした」が一番心がこもっていたように思った。あくまで、私が思っただけだけど。
カスタマーセンターの人が何も対応しないからと言ってカスタマーセンターの人にキレるのは、コンビニに煙草が置いていないからと言ってコンビニ店員にキレる客とおんなじようなものだ。コンビニ店員に罪はないし、コンビニ店員にはどうすることもできないのである。それなのに
「はあ!?なんで煙草置いてねーンだよ」
とキレられて困惑したことが何度あることか……。人の振り見てナントカカントカである。
それに、怒ったら、B嬢との思い出の品に怒りのレッテルシールを貼らなくてはならなくなる。そんなことしたくありませんから。
ともかく邪悪な感情を鎮める、という練習になった。こういう練習が就職活動の面接などで役に立つだろうし、社会人になってからも役に立つであろう。練習台になってくれたカスタマーセンターの人には感謝したい。
――
その後、B嬢がコーヒーメーカーを購入したお店に電話をした(あ、保証書に電話番号が書いていたんです)。
すると、在庫がないということで、別の商品(2ランク上の商品だそうな)と交換するか、もしくは時間がかかるが遠方から同じ品を取り寄せる、という二つの選択肢を提示される。
私には決めかねるので、とりあえず翌日に来てもらい、今持っている商品が本当に不良品なのかを確認してもらって、それから交換するかどうかを判断したい、という旨を伝えた。もちろん、先ほどのカスタマーセンター同様
「夜分に失礼しました。ご迷惑おかけします」
という一言を忘れない。まだまだぎこちない言い方である。しかしこういうテクニックを身につけられるかが、武士として――(省略)。
――
その後、B嬢に電話をする。交換してもいいかどうかは私の判断ではなく、B嬢の判断で決めてほしかったからである。でないと、
B嬢が選んだコーヒーメーカー
から
私が選んだコーヒーメーカー
になってしまう。それだと一気に価値が落ちてしまう……。
「もしもし、どうしたの?」
「実は、カクカクシカジカで、もしコーヒーメーカーが不具合があったら、別の商品に交換することになるんだけど、どっちがいいですか?別の商品にするか、同じ商品にするか」
「え、別の商品でもいいよ?そっちの方が高性能なんだし、同じ商品だと届くのに時間がかかっちゃうでしょ?というか、別にどですかでん次郎さんが決めてよ(笑)」
「いや、それだと貴女が選んだ商品から私が選んだ商品になっちゃうでしょ。それだと意味がないんです」
「まったく、理屈っぽい人ですね」
「じゃあ、明日点検してもらって、本当に不良品だったら貴女が選んだ別の商品に交換しますね」
「はいはい」
これでいい。
「そんなことより、なんで今頃使ってんの?あげたのって、クリスマスでしょ?もう2週間以上たってんじゃない」
「(あ、やべ)え、あ、いや、あ、すみません、ちょっとシュウカツで忙しかったもので(笑)」
「まあ、確かに忙しい時期ですからね。シュウカツ頑張ってくださいよ」
「はい(笑)貴女も国家試験の勉強、頑張ってくださいね。ではでは」
……シュウカツは実に都合の良い言い訳である。しつこいが、シュウカツは服従されるものではなく、協力するものである。シュウカツさんよ、仲良くしましょ~(えへらえへら)。
翌日。
代替品を持ってきた家電量販店の人がやってくる。ベテランさんと若手さんの2人であった。
若手「では、問題の商品を見せていただけますか?」
「はい、こちらなんですけど……」
若手「どれどれ――う~ん、確かに上手くいきませんねえ」
若手と思われる方が何度も試したものの、やはりうまくいかない。
(どうやら、本当に不良品だったようだ)
と思ったその時、ベテランと思われる方の人が
「ちょっと貸してみろ――ここをこうすると。あ、上手く行きましたね」
見事に上手く行った。炊飯器で例えると、ふたがパチッとしまったのである。
「え!?あ、本当だ」
「ここをこうすると、上手くいかないんですけど、ここをこうやると上手く行く商品のようですね。説明書を見ますと、ちょっと分かりにくいんですけど、ほら、こんな感じで」
どうやら、商品が不良なのではなく、私が説明書をちゃんと読んでいなかったからであった。申し訳ないことこの上なし。
言い訳を言わせてもらえれば、カスタマーセンターの方や若手の職員さんでも気付けなかったわけであり、勘違いするのも無理からぬ話であると思います。そもそも説明書をみるとですね――(ベラベラベラベラ)。
ともかく、B嬢さんがクリスマスにくれた商品をそのまま使うことになった。よかったよかった(笑)
「わざわざ来てもらい本当に申し訳ございませんでした」
終始、低頭する私。それに対してベテランの方が
「いえいえ、何かまたわからないことがありましたら、遠慮なく電話してくださいね」
と笑顔で言う。
この笑顔である。この笑顔を私もできるようになりたいのである。こういうことは、シュウカツ本には書いていないからねえ(本に書いているのはスーツを着ている若者ばかりである)。
ということで、B嬢がくれたコーヒーメーカーを使えることになった。B嬢からクリスマスにもらったというだけではなく、今回の出来事を含め、今後も忘れられぬコーヒーメーカーとなった。
今回得た教訓として
邪悪な感情を鎮めるには、その感情あふれさせるよりも思考で処理すること。そして礼儀を重んじること。
である。まあ、私一個人の教訓ではあるが。ただ、もしも邪悪な感情をあふれさせていたら、私はとんでもない赤っ恥をかいていただろう。想像しただけで顔が真っ赤になるである。
2013.01.10
シュウカツ都々逸
朝に新聞開いてみれば、シュウカツ情報デカデカと
新聞でもシュウカツに関する情報が載っている。内容は特に目新しいものでもなく、シュウカツサイトに載っていそうなものである。まあ、シュウカツサイトをちゃんとみたことがないのでわからないけど。しかし、カラー刷りで紙面全体を使っているところをみると、新聞社もそれなりに力を入れているのだろう。需要もあるのだろうね。
研究室に行ったとしても学生おらず……シュウカツか?
研究室に行っても、学部3年生はシュウカツで忙しいようで研究室に寄りつかない。学部生たちが普段どこで何をしているのかはわからないが、ともかく「シュウカツで忙しい」そうである。教授も「シュウカツっていわれたらなんにも言えないよねえ」と苦笑い。
昼に生協ぷらりとすれば、シュウカツ本が平積みだ
大学生協に行けば、大々的にシュウカツ本がピックアップされ、シュウカツ関連の本が平積みにされている。中には
「○○出版の就職本15%オフ!!大学生協限定セール」などという本もある。どうやら、大学生協もシュウカツに力を入れているようだ……というか、出版社が生協にアプローチを掛けているだけで、生協は何も考えていないのかもしれないが。おっと、また学生がシュウカツコーナーに寄ってきたぜよ。
夜にネットをつないでみれば、シュウカツメールがどっさりだ
毎晩、Yahooメールに数十件のシュウカツ関連のメールが送られてくる。中には重要そうなものもあるが、その多くが見るに値しないようなものばかり。送信者であるシュウカツサイト運営側の努力には感嘆するが、受信者であるシュウカツ生はどういう心境なのだろう。――少なくとも私は辟易とする。私はシュウカツサイトに登録しただけの状態なので、いろいろな会社にエントリーしているシュウカツ生たちは、私の倍以上のメールが送信されている可能性もある。
以上、「シュウカツどどいつ」であった。最近、日記をちゃんと書かないということは、それだけシュウカツの現実を目の当たりにしているからである。……別に臆しているつもりはないからね。
――なんというか、
『就職活動』をしているのではなく、『シュウカツ』をしている学生が大量にいるのではなかろうか?
この疑問がどうしても消えない。この意味は今後明らかにしたい。まだまだ推論の段階である。
2013.01.05
年末年始の記録
年末年始にかけて、日記の記録を放棄していた。理由は主に3つある。
① 風邪をひいてしまったため。しかも、父に付き合って酒を飲み続けたため、風邪をこじらせた。余談だが、父もその後に風邪をひいた。
② 風邪をひいたので、外出せずに寝たり本を読んだりして過ごしたため、あえて書くほどのことがなかった。
③ あえて書くと言ったら、わがスイートハートであるB嬢とのメールや電話や面会のやりとりであるが、そんなものを風邪をひいている時に書いてしまっては、一層熱が上がってしまうため(えへらえへら)。
でもせっかくなので、ここ数日にあった『あえて書くほどのことでもないこと』を簡易に記すことにする。
昨年の12月28日(金)
B嬢と一緒に故郷に帰る。B嬢とは高校の時の部活の先輩後輩の関係なので、向かう駅は同じなのである。新幹線で帰省するのも良かったのだが、B嬢の意向で鈍行列車で帰った。電車の中ではぺっちゃらくっちゃら話をして過ごしました(笑)
――
駅に到着し、私とB嬢は改札口に向かったのだが、なんと改札口のところに私の父がいたのである(車で迎えに来てくれていた)。
意表をつかれた私は、突然B嬢と他人のふりをするという手法をとってしまった。B嬢をおいて、私は父のところに向かったわけである。雄として実に情けない行動である。
さすがにB嬢に悪いと思ったので、私は父の車に乗る前に
「あ、ごめん、ちょっとトイレに行ってくる」
と言って、再度駅の中へ戻った。そして、駅の待合室に座っているB嬢に
「どうも突然、すみませんでした」
と一言、へらへらしながら詫びた。B嬢をみると、怒るというより、落ち着かない素振りを見せていた。
――
帰りの車中。
父「あれ、友達か?」
私「うん、ま、まあ」
父「ホンニャラ県の娘なのか?」
私「うん、ま、まあ」
父「どういう関係だ?」
私「うん、ま、まあ。部活の後輩……?」
父「部活って、ボクシングか?あの娘がボクシング?」
私「いや、高校時代の部活の後輩だよ」
父「なんだそうか。でも、あんな娘いたっけ?」
私「いたよ。親父、俺の部活に全然関心もってなかったじゃんか。だから気付かなかったんだろ」
父「ああ、そうか。まあ、いいけど。……本当は、お前の彼女か?」
私「い、いやあ。あはは」
父「ふ~ん、可愛い娘だな」
私「う~ん、まあ~」
父「お母さんに言ってもいいか?」
私「いや、困る。お袋にあーだこーだ説明するのはめんどくさいから」
父「まあ、しつこく聞いてくるだろうな」
うちの母はしつこいのである。
その夜。電話。
B嬢「ちょっと、なんでお父さんがいたんですか!?聞いてないよ!」
私「いや、ごめんなさい。私もまさか親父がいるとは思わなかったもんで(笑)」
B嬢「笑い事じゃないよ!なんか、私、なんの挨拶もしないですごく態度の悪い人間みたいじゃないですか」
私「え、なんで?『あ、これ、俺の彼女』とか親父に紹介しなきゃいけないの?」
B嬢「そういうわけじゃないですけど、友達だろうとなんだろうと、普通挨拶するくらいするでしょ!?」
私「あ、そういうもんなんだ。私、あんまり友達づきあいしてこなかったから、人を親に紹介するという常識を持っていなかったもので、すみません(笑)」
B嬢「本当にびっくりして、駅の中でもずっとソワソワしてましたから」
B嬢はB嬢で、その後駅の待合室で親が迎えに来てくれるのを待っていたのである。
私「でも、うちの親父、貴女のこと『可愛い子』って言っていたよ(笑)」
B嬢「嘘ですよ、そんな作り話しなくていいから」
私「あ、親父に聞かれたから、彼女だって教えちゃったけど、よかったですか?」
B嬢「……別にいいですけど、なんか態度悪い娘だ、って思ってるんじゃないですか?」
私「いや、思ってないって(笑)」
という会話を交わしました。
実家に帰って酒を飲んで眠る。そして翌日、風邪をひいたわけである。風邪の引き始めにクリスマスの日記をたらたらと書いていたら、さらに体調が悪くなり始め、年末年始はぐったりとしていた。
……まあ、風邪をひいているくせに父の酒に付き合っていたのでこじらせたというのもあるのだが。
風邪が全快に向かいつつあった1月4日、最近できた市の図書館内にある喫茶店でB嬢と会う。
B嬢は、1月下旬にある社会福祉士国家試験に向けた勉強で忙しいようである。しかし、あまり身が入っていないらしかった。そこで、勉強法について相談にのったというわけである。
……えらそうに「相談にのった」なんて言っているが、別に私オリジナルの勉強法をB嬢に押し付けたわけではない。だって私の勉強法をB嬢に伝授したところで、実践できるわけがないもんね。
それは、私の勉強法が高尚過ぎる、というわけではなく、私の勉強法は、私が置かれている外部環境や内部環境に適したものであるからだ。当然、B嬢にはB嬢の外部環境や内部環境があるわけで、私の勉強法を伝授したところで実践する可能性は低いし、仮に実践しても実りある成果が生まれるかどうかは保証できないのである。
だからこそ、B嬢の置かれている状況を聞き、B嬢に適した勉強法を共に考えることに協力した、というわけである。
まあ、大学院生ですから、これくらいはできないとねえ。
「私はこうやって勉強したから、君もこうやって勉強しろ」
とか
「二宮尊徳のようにやれ」
とか言うのはたやすい。しかし、本当に彼女のことを思うのならば、そうした押し付けよりも彼女に適した勉強法を共に考えてあげるのが紳士的である。研究者の末席を汚す身として、自分の考え方を押し付けるだけではいかんわけですよ(病み上がりなので粋がってます)。
ついでに、試験まではB嬢とメールや電話を控えめにすることにした。無論、会うこともなるべくしないことにする。
なので、1月中はいままでの妙に浮ついた日記から、地に足付いた日記となるであろう。まあ、武士の日記とは本来そういうものである(と思う)。
今日には実家からアパートにもどった。明日からはまたちゃんとした日記(?)を書いていこうと思う次第。
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